マルチーズ「珀」の日常

マルチーズ「珀」の、家での様子やおでかけの様子を綴っています。

「東日本大震災」震災時の私と震災後の私!震災時のディズニーランドは!?



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こんばんは!

いつもブログを見てくださって、本当にありがとうございます!

 

2011年3月11日。

東日本大震災から10年の月日が流れました。

 

怖い。悲しい。辛い。不安。など。

多くの人にたくさんの感情を残し、10年経っても忘れることができない、大きな震災だったと思います。

 

今日は、震災時と震災後を振り返って、記事を書きたいと思います。

 

目次

 

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震災時

 

当時、私は世田谷に住み、週に3日はディズニーランドへ行っていました。

震災の前日にもディズニーランドへ行っていて。

震災の当日も、ディズニーランドにいました。

 

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震災が起きる1時間ほど前に、私が撮った写真です。

あんなことが起こるとは夢にも思わず。

現実を忘れ、楽しんでいました。

 

地震が起こった2時46分は、まさにパレードを待っているところでした。

2時45分スタートのパレードで、私達は終わりに近い方のルートで場所取りをしていました。

座っていたので、地震はものすごく大きく感じました。

 

ディズニーの対応はものすごくよかったと、たくさんの記事が書かれていますが。

良いこともあり、いい加減な部分もありという感じでした。

 

あんなに大きな地震が起こったのに、何のアナウンスもなく。

テレビもラジオもない園内で、何が起こったのか、どうしたらよいのか、全くわからない状態でした。

何度も余震が続き、私と友人は、その場でただ座って時が過ぎるのを待つだけでした。

少しすると、建物の安全確認が取れるまで、全員外に出るように!ということになり、レストランで働くキャストさんなども、外のパレードルートに出てきていました。

外は人であふれていました。

 

そのまま何のアナウンスもなく。

ディズニーランドの外が、どういう状況なのかもわからず。

ワールドバザールの天井の安全確認が取れるまで、外には出られないとの情報が入りました。

ワールドバザールの天井というのは、たぶんガラス?で出来た天井で、入り口付近にあり、そこを通らないと外には出られません。

 

どんどん時間だけが流れ、ものすごく寒くなり。

夕方には雨も降りだしました。

何の放送もなく、何のアナウンスもなく。

ただひたすら園内をウロウロと歩いていました。

 

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傘は無料で頂くことができました。

この傘が、雨をしのぐだけでなく、風も防げて、ほんの少し寒さ対策にもなりました。

 

ウロウロ園内を偵察していると、だんだんと人が減っているような気がしました。

みんなどこへ行ってしまったのか?

もう外に出ることはできるのか?

電車は通っているのか?

 

すると、屋外の一角にブルーシートを見つけました。

 

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寒さと雨をしのぐために、キャストさんが準備したブルーシートです。

中にいる人たちで、押さえながらくるまっていました。

 

ウロウロしていると、たまたまキャストさんに会うことができて、話を聞けました。

「建物の安全確認は済んでいる。定員オーバーしている建物もあるが、空いている場所もあるかもしれない。」と言われました。

 

私たちは、たまたま空いていたレストランに入ることができました。

 

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「ルアウ」です。

ショーレストランで、床にはブルーシートが敷いてあり、多くの人が集まっていました。

私たちが入った後は、すぐに定員に達してしまいました。

運よく建物に入れた人は良かったですが、入れなかった人は、屋根のある屋外で休んでいました。

 

何のアナウンスもないので、ただひたすら歩き、探し、あたりの様子を見て、何度もキャストさんに話しかけ、自分で情報を集めるしかありませんでした。

 

ルアウに入ってからは、たくさんのものをいただきました。

 

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ルアウで出るジュースも無料で頂き。

 

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炊き出しもいただきました。

この美味しさは、一生忘れられないかもしれません。

 

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防寒のシートもいただきました。

アルミホイルみたいなもので、全身が包めるくらい、大きなものです。

 

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こんなペラペラのビニールのようなものが、こんなに暖かいとは。

本当にありがたかったです。

 

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この他にも、お菓子もいただけました。

 

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こんな場所で、こんな写真を撮ることなんて。

二度とないでしょうね。

 

ディズニーに行くときは、携帯用の充電器を2~3個は持っていっていましたが。

さすがに充電もなくなりそうでした。

 

23時半すぎくらいに、もう外には出られる。電車は池袋まで?動いている。

という情報が入りましたが、時すでに遅し。

ずっと会っていなかった父親に助けを求め、車で迎えに来てくれることになりました。

 

ディズニーランド内は、壊れている個所もなく。

いつもと変わらない感じでしたが、1歩外に出ると別世界でした。

辺り一面、ドロドロで水浸し。

駅に向かう橋は崩れていて。

周囲の道路もあちこちで壊れていました。

 

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この時は知らなかった「液状化」です。

津波が来たのかと思うくらい、ドロドロでガタガタになっていました。

 

この後、迎えに来てくれた車で、45分ほどで帰れる道を、5~6時間かけて帰宅しました。

 

家に帰ると、家の中は水浸し。

当時、我が家には水槽がありました。

水槽の水がこぼれて、水浸しになっていました。

 

当時の我が家の生き物たち、フトアゴヒゲトカゲ、クランウェルツノガエル、お魚さんたちは、みな無事でした。

3月12日、一睡もしないまま、仕事に行きましたが、遅刻も休む人も1人もいなくて。

プロ根性、責任感のある職場だと思いました。

 

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このお菓子は、運よく無料で頂けたお菓子です。

こういうの、タイミングが合わないといただけなくて。

本当に運だけでやり過ごすことができました。

 

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震災2週間後

震災から2週間くらい過ぎると、我が家の近辺では日常が戻ってきていました。

スーパーでも物が買えるようになり。

特に、困ることもなく生活していました。

 

今度は人を助ける番です!

 

私は、募金のボランティアに参加しました。

募金をすることは何度もありましたが、その活動をするのは初めてでした。

 

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たしか、三軒茶屋の駅近辺で行った気がします。

恥ずかしくて、最初は声も出せませんでしたが、募金してくださる方から声をいただいたりして。

「良い事をしている!」という自己満足ではありますが。

次第に大きな声で、募金をお願いできるようになりました。

たくさんの方が募金をしてくださいました。

 

人のために何かをするって、してもらう方より、する方が幸福度が高くなるそうです。

ですので、良いことをした!という達成感で胸がいっぱいになった1日でした。

 

まとめ

 

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不安や怖いことがたくさんあった大震災でしたが、学んだことも多くありました。

とにかく、後悔しないように!

精一杯毎日を生きて、人のためになることが出来たらよいなと思います!

 

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